小僧⑤

小僧の楽しみはなんといっても休日と仕事のあとの自分の時間であった。
原則は月一度の休みだったが第三以外の日曜日は夕飯(7時)後は自由で
父母へ手紙を書いたり、読書やソロバンを練習したり、たまには仲間たちと
鳥越へ三本立て映画の最終版(半値だった)を見に出かけたものだった。
当時は遊びの主流の映画館はあちこちにあって小僧たちの人気はチャンバラ物で
大川橋蔵、市川歌右衛門中村錦之助など懐かしく古い建物でスエた匂いのする
立見席で見た情景は今と違って楽しみの少なかった戦後の象徴だったのだろうか。
月末には外注の職人たちの手間賃払いで夕方20人ほどが集まり社長のオゴリで
夕食を食べに職人たちと一緒に出かけ食後は食堂の二階で花札賭博のコイコイを
したり(坊主頭の人に、あなた八月生まれ?なんて揶揄する言葉もあったっけ)
なかには亀戸あたりの安い廓で遊んで帰る番頭や職人たちもいて月末を楽しんだ。
盆、正月は薮入り(草深い田舎に帰る意味)で3−5日の休みを貰って帰郷した。
その時の故郷の親たちはどれほど子供との再会を楽しみにしていただろう。
「子を持って知る親の恩」今になってつくづくと感じ入ります。