小僧(24)

気胸(ききょう)とは肺の壁の一部に穴が開いて空気が肺の周りを覆う
肋膜に流れて、その空気のために肺を圧迫し呼吸困難になる病気です。
原因は現在もよく分からないそうだが、ともかく絶対安静にして穴の塞がりを
待つのが治療方法らしいが始めは重度病棟に入れられて様子を見ることになった。
戦前は結核は死病とされ恐れられたがパスやストレプトマイシンなどの良薬が出て
完全治癒する人も多く少しは安堵したが、先入観からか伝染病とて会社からの見舞い客も無く
孤独の毎日を送らざるを得なかった。そして今までの歩んだ自分を見つめる時間が果てしなく
続いていた。いま思うと「人生に敗れた」とき三つの選択肢があった気がしてならない。
①自暴自棄になる。②死ぬ。③これをバネに成長する。考えたけれど分からなかった。そして
仕事、家族、運、金など全て無く、社会そのものが敵に見えたハリネズミのような自分を見た。
病状が良い方向なのか悪い方向なのか、退院出来るのか出来ないのか、先生や看護婦さんに
聞いても、ただ首をかしげるだけだったし、先の見通しの無い絶望感に打ちひしがれていた。
結核患者はただ食べて寝て薬を飲んで、あとは運任せ的な療養に私は耐えられそうもなかった。
栄養を取るために患者は病院食のほかに肉や魚を買って食べていたがそれとて出来ず惨めだった。
それでも何人かは顔見知りになって話しをし、同病相憐れみ、気持ちの通じる人も多かったが
親しくなった人たちが空しくも助からずに天国に召されたときなど無性に悲しく空を見上げた。
世の無情をこれでもか、これでもか、と思い知らされた、ドン底の辛い病院生活だった。