小僧(25)

額田病院は海に面した(当時)小高い丘の松林の中にあって環境は
素晴らしいものだった。患者たちの心を癒してくれたのはいつも優しく
接してくれた看護婦さんや患者同士の親しい交流、そしてなによりは
眼下に見える幕張の浜の景色は一幅の絵画を見るような素晴らしいもので
普段の都会生活になじんだ者にとってはタイムスリップしたような気持ちだった。
遠浅の干潟にはノリの養殖場があり真冬の早朝などノリ船が行き交い漁村では
天日に干して人々は働き漁師言葉が飛び交っている。春には潮干狩りで大勢の
客たちが遠浅の海を楽しみ、自然の空気と魚介類をいっぱいに持ち帰っていた。
人のいなくなった日暮れの海面は真っ赤に染まって遠くには富士の影も見えて
ノリ船の点々とした黒い姿は自然が画いた六曲一双の襖絵のようで、時間の流れと
ともに移る色模様に忘れられない感動を覚えたことに、いまさらながら感謝している。
其の後、埋め立てのためにあの景観は失くしてしまったが、実に勿体ないことと思う。
ともかくこの入院生活は私にとって人生を大きく変えたことは事実だし、辛かった反面
考える時間を与えてくれた大切な一時期だったことは結果的には良かったと思っている。