東京大空襲(1)

harimaya2005-03-09

戦後生まれの人が多い昨今は60年前の3/10日の
東京大空襲は遠い過去の出来事になってしまった。
私にとっての震災慰霊堂はいつもの散歩コースや
孫たちとの遊び場になっているが戦災に遭った人々
にとって参拝と慰霊の焼香は絶えたことがない。
60年前の今日の昼間一機のB29が東京の空を旋回した。
空襲警報のサイレンが鳴り人々は緊張し空襲に備えたが
一機はほどなく去って行った。しかしそれはオトリだった。
ホットして眠りについた深夜に300機のB29の大群が東京を
襲い焼夷弾(ナパームM69)を満載し風も計算され超低空で
下町の密集地に投下した。投下された焼夷弾は約2000トン、
焼死した人は約10万人、負傷した人は数知れず、東京の大半は
焼け野原になり、その惨事は地獄そのものであったに違いない。
「B29は目標の周囲にまず巨大な火の壁を作った後、逃げまどう
 人々に狙いを定めて無差別じゅうたん爆撃を加えた」早乙女勝元
しかも当時3/10日は陸軍記念日で、その日を狙ったアメリカの
戦略は日本人の戦争へのダメージダウンの心理戦争の一環だった。
1864年ジュネーブ条約では(文民の条約)に戦いに直接参加しない一般の
人たちを守ることが国際人道法と明記されているのに連合国はそれを無視した。
原爆といい各都市への空襲は民間人を殺傷するホロコースト的な行為だが
それは人類への冒涜でありその蛮行は決して許されるものではない。
連合国はそれに謝罪も補償もしないが戦争行為の愚劣そのものである。
大戦時、日本軍はあくまで戦闘軍と戦ったのであり(南海虐殺は大嘘)
戦後の戦勝国プロパガンダで日本悪者論に染められてしまったが歴史を
正しく認識することが日本人の誇りと自信への気持ちの大切を思う。