小僧一人旅(5)

一生の算段を付けた心算でも現実とのギャップは大きく今耐えねばならない事は承知の上
だが、それにしても良く貪欲に仕事と生活に苦労が出来た事を今も不思議に思ってしまう。
5坪の空間に裁断機と仕上げ機を備えて生地と付属と製品で足の踏み場も無く四方に板で
棚を作っても自分の生活のスペースは取れず夜は裁断機の上で生地を被って寝台代わりに
したが板が直接体に当たって痛く、しばらくは慣れなかったがいつの日かそれも消えた。
食事は釜に一日二合のご飯を炊きオカズは「鳥越のおかず横丁」で閉店前に売れ残った
ものを安く分けていただいたが、そのうち顔見知りになって「いいから持っていきな」と
優しくしていただいた女将さんの顔は今も忘れない。人情に甘えた自分にいつしか涙した。
ボンカレーが出始まって3分間熱湯に漬けるだけのカレーライスも美味かったが、発明
した人を妙に感心したりしていた。夏など豆腐の上からネギときゅうりの千切りにサラダ油と
醤油をぶっかけて食べた小僧の発明品?も結構美味い。チョンガー料理に一人満足した。
洗面や身体の汗は二階の人たちの居ない昼間に台所で裸になって拭いて、頭は自分で髪を
鋏で梳いてすませた。思えば銭湯も床屋も何年も行かなかった生活だったが、それほど
苦にはならなかった。洗濯の水の冷たさは辛かったが(洗濯板はお隣に貸してもらった)
逆に夏の火を使う仕上げの作業は灼熱地獄そのもので仕事とは云え我慢と気合の二人連れ
だった。所帯を持てるまでの独身時代は衣料、寝具、日用品も極力買うのを控え、暖房も
冷房も無い部屋だったが、電気代を少しでも助けるのは早起きに徹するのが得策と考えた。
逆説的だが、貧乏だったから、夢があったから出来た火事場の馬鹿力みたいなものだった。