あってはならぬこと

尼崎電車事故は悲惨を極めたが、さめやらぬ緊張のはずのJRの運転手が某駅でオーバー
ランのミスをし、同僚が当日ボーリング大会や宴会を楽しんだという。交通機関の他にも
医療ミス、情報漏洩、警察の怠慢、試験ミス等々、その都度、経営者や上司が深く頭を
下げて「あってはならぬこと・・再発防止に努めます」視聴者はその姿に慣れて、耳も
タコになる。人は誰でもミスを犯す。けれど最近、申し合わせか、連鎖反応のように、
あってはならぬことが、ありすぎる。ミスをするのが人間の避けられない習性と思えば
「あってはならぬ」なんて軽々しく簡単に話す事自体おかしな話で、人間が操作している
かぎりは「当たり前」で早期の自動停止装置(ATS)の導入を願うしか手がなさそうだ。
“時”は人間が利用するものだが、今回の事件は、人間が“時”の奴隷になっている。
あってはならぬ、とは人為的な悪質な行為であり故意に起こした犯罪に使う言葉だと思うが、
その意義をもっと感じてほしい。治安の悪化、見ても知らぬふり、自己中心、やる気のなさ、
最近の日本人は何故こうもタガが緩んでしまったのだろう。豊かさの指標の平均寿命など
世界一の日本なのに、その分ハングリーな意欲や緊張感が喪失された無気力が情けない。
とくに人命を預かる職業に携わる人は責任感や緊張感を無くしては危険極まりないのだから、
経験年数や免許更新など、法の整備が急がれることを改めて知らされた教訓の数々だった。
「あってはならぬこと」が今年の流行語にならなければ、と願っている。