母の日

harimaya2005-05-08

母が亡くなって、はや三年が過ぎた。九十三歳の
天寿を全うしたが、五十歳台で発病したスモン病
苦しみ、四十年間もベッドの生活を強いられた。
悔いても悔い切れない半生を過ごしたが、唯一つの
救いは根が明るい性格で決して病気をこぼさず、
見舞いに行っても、いつも笑顔は絶やさずに
「病気したのはワテでよかったんや。
オマエハンやったらみんなが苦労せんならんわ」と
逆に慰められて涙をこらえたものだった。
女性特有の辛抱強さが、ここまでも発揮出来る
母の大きさを思い出すたび感動がこみ上げてくる。
亡くなって初めて知る親の恩。
生まれて大人になるまで、私は母の愛をいっぱいいただいたがその万分の一の
お返しも出来なかったうえ、可哀想な半生を送らせてしまったのは辛かった。
原因が胃腸薬、キノホルムの服用とされながら、裁判が長引き決着まで二十年近くも
かかり、そのため父は裁判所や病院など駆け回り製薬会社の前で仲間と街頭で
シュプレヒコールを繰り返し、デモや集会などで積極発言をしてスローガンを
全員一斉に叫ぶ姿を何度も見た。そして見るのも辛い二人の人生だった。
私自身、今こうして健康で幸せな暮らしが出来るのも母が身代わりになってくれたお陰と
思い出すたび、感謝の念は消えない。生前、父母の夫婦喧嘩を見たことはないが、
それほど仲の良かった二人に運命は過酷だった。そんな苦労の末、父母は旅立って
逝ったが、今頃はきっと浄土で仲良く暮らしているに違いない。
かつては毎年帰郷したゴールデンウイークも今は孫たちと遊び呆けている。
母の日が来るごと思う。   「おかぁちゃん、かんにんしてなぁ・・」