日米間に思うこと(1)

最近の日本人は老若男女を問わず、政治に対して無関心の方が多いのは何故だろう。
文明開化の明治から昭和の戦後の一時期まで、国を思う愛国心や政権を批判する人も
多く、政治への関心度は高かった。60年安保闘争メーデー事件、全学連騒動など
政治がらみの事件が多発した60−70年代のピークは、ひとときの夢のように消えた。
平和をむさぼる現代の人たちは、今は安泰と暮らしておられるようだが、病魔が静かに
外から忍び寄るように、前兆に気をつけないと、大事に至っては後悔になってしまう。
先日ブッシュ米大統領第二次世界大戦末期に行われたヤルタ会談の過りを批判した。
戦勝国のしかも先人の決めたことを批判するなんて、異例とも言える発言に驚いたが
ブッシュの勇気を高く評価したい。この会談の趣旨によって欧州は東西冷戦の二分割の
悲劇を生み出し、秘密協定でソ連が参戦し見返りに、樺太千島を日本からソ連が奪う
ことが約束された。ヤルタ会談は領土不拡大をうたったカイロ宣言にも違反しているし、
ソ連が不可侵条約を破って日本人に暴虐の限りを尽くしたことは周知の通りの無法国だ。
日本にとってヤルタでのルーズベルトスターリンの密約は今も後遺症で苦しんでいる。
強硬派のルーズベルトは戦争末期の1945年4月12日に急死するが、そのとき死なずに
戦争を続行されていたら、最後まで戦わされてドイツや朝鮮半島のように日本も米ソに
分割された国家になっていたに違いないが、その布石がヤルタのソ連との秘密約束だった。
よく北方領土と言うが、千島列島全てが日本の固有の領土であることは歴史の事実だ。
高邁な理想を説いていた当時の米大統領ルーズベルトは日本にとって悪辣な人物だった。
ルーズベルトという一人の感情で日本は踊らされた。真珠湾攻撃も日本の不手際があった
といえルーズベルトは暗号でキャッチしていたのに米国民に知らせず「パール・ハーバー
として戦争を鼓舞した。政治的天才なのだろうが嫌日主義者で日本を戦争に追い込んだ
人物として今は評価されない。歴史とは100年単位で考えないと方向を誤ってしまう。