日米間に思うこと(5)

いくら仲のいい夫婦でも所詮は他人で、考え方や意見の食い違いが重なると意思の疎通が
遠おのき、やがて争いのもとを作り、離婚にまで発展してしまう。日露戦争は引き分けで
元々だったはずの世論も終わってみれば勝てたことが、人々が傲慢になり謙虚さを忘れた。
ロシアから樺太全土をよこせとか、賠償金を取れとか、暴動にまでなりマスコミも一緒に
騒いで世界のひんしゅくを買った。米英も日本から気持ちが離れていった一因かもしれない。
世の中は白人国家による植民地時代だった。有色人種の日本が白人のロシアに勝ったのは
植民地の搾取に苦しむ有色人種にとっては夢のような出来事で、アメリカ本土に住む黒人も
手放しの喜びだった。しかし白人にとっては面白くない。植民地の各所で民衆の独立運動
盛んになったのも日露戦争が最大のキッカケだった。日本を応援したアメリカが後悔した。
そして、それを読めなかった日本の指導者たちが其の後にやって来る奈落の道に輪をかけた。
日露戦争の勝利で日本は満州中国東北部)の経済的な利権を手にしたが、ロシアが敷いた
満州鉄道の経営をアメリカが日本と共同で運営しないか、打診があった。日本は戦費を使い
過ぎて資金のメドがつかず、渡りに舟の話だったが、時の外相の小村寿太郎が反対して話は
流れてしまった。苦心して講和を結んだ全権大使、寿太郎でさえ、国家百年の計が無かった。
せっかく今まで世界の潮流に上手く乗って伸びてきた日本だが、その先の行く道を誤った。
もしあの時、アメリカと共同で満州の鉄道を経営していたら先の大戦は無かったと言える。