日米間に思うこと(6)

明治になって開国はしたものの当時の日本経済は農産物や漁業、林業など一次産業主体で
土地や資源の少ないわが国の状況は、人々を海外への移民に駆り立てて、アジアの諸国や
アメリカ大陸へ職を求めて、日本をあとに船出をして行った。それは工事現場、農業関係
鉱山採掘、縫製の仕事など、厳しさと安賃金が多かったが日本人の持つ勤勉さや器用さが
逆に妬まれ、日清日露の戦争の結果とも関連して「黄禍論」が起き、20世紀に入ると
アメリカでは日本人が迫害を受けるようになり、やがて対日移民禁止の法律が出来る。
「黄禍論」は白人たちが最も恐れた有色人種の躍進であり、その槍玉に日本が挙げられて
白人国家全てが、日本の一挙手一投足に難色をつけ自尊心を傷つけられ試練が待ち受けた。
有色人国家が白人国家に勝った事がここまでシッペ返しを食らうとは思わぬ出来事だった。
アメリカ200年の歴史は1776年の独立の東海岸の13州で始まったが、それ以降の
国是は「西へ西へ」の侵略の歴史だったと言っていい。インディアンやメキシコを征服し
西海岸へ達したアメリカは、次は太平洋を我が家の庭にする戦略に、各島々やフリピンを
攻略し我が世の春を謳歌していたが、それに立ちはだかるように日本は素晴らしい躍進を
していたが、アメリカにしてみれば、それを攻略して太平洋の覇権を確実にするために
日露戦争直後には仮想敵国を日本に見立てて、いわゆる「オレンジ計画」が立てられ、
いかに対日戦争するかを立案されていた。アメリカとは敵にまわすと恐ろしい国である。
第二次大戦の30年も前の事だが、それに気付かないのが能天気な日本の指導者だった。