日露関係(4)

1941年(昭和16)4月、当時の外相、松岡洋右はロシア(当時ソビエト)で
モロトフソ連外相と日ソ不可侵条約を締結した。この条約は日本にとっては対米戦の
背後の憂いを無くす事と、ソ連にとっては背後の日本の脅威から解放されて対独戦に
集中出来るメリットのためだったが、果たしてソ連は極東の軍隊を殆んどヨーロッパ
戦線に駆り立てドイツ軍との戦いに戦力を集中させることが出来、その結果勝利した。
考えようでは日本のしたことは、当時の同盟国ドイツへの裏切り行為かも知れない。
日本はメリットがあったのだろうか。結果論から言えば何も得る事のなかった条約だ。
それどころかソ連はドイツに勝利すると軍を取って返して不可侵条約を平気で破って
戦争末期の満州樺太、千島等に乱入し日本人に対する殺傷、略奪、あげくに多数の
将兵をシベリアに抑留し、嘗めた辛酸は忘れようにも忘れられないロシアへの恨みだ。
結果から言えば条約の締結は世界史をも変えた重要なものであったが、先見性の無い
その場しのぎの日本の政治家の愚かさが、子々孫々まで後を引いて今も苦労をしている。
松岡外相はスターリン始めソ連の首脳部から大歓迎を受け勲章まで貰って得意気だった。
その後、社会党の議員や金丸副総理が北朝鮮で下にも置かぬ歓待を受けたのに似ている。
現在もロシア戦勝記念に小泉首相が出かけ、森前首相がご機嫌伺いとプーチン大統領
訪日の要請に訪問するなどしているが、日本の尊厳と気概はどこへ消えたのだろうか。
戦略もなく、かけひきも出来ないのは政治家の資格などは論外だが、その点、ロシアや
中国など大局を見る政治家の慧眼に感服をする。敵ながら天晴れと言わざるを得ない。
国家100年の計に立てば、明治の憂国の士に培われた日本の躍動と苦労して作られた
財産を食い物にした軽佻浮薄な政治家に治められた現代の日本がなんと情けない。 了。