ガーシュイン

harimaya2005-07-11

「ハーレムの125番街を歩いていたら
自動ピアノがルービンステインの曲を
演奏しているのが僕の耳に入った。
その曲の躍動が僕を釘付けにした」
ロシア移民の僅か6歳の子供が話した
天才の言葉は、其の後の彼の音楽人生を
物語っている。貧しさゆえに音楽教育も
正規に受けられなかったが、天の啓示が
あの名曲の数々を生み出したのだろうか。
ラプソディ・イン・ブルー」「パリのアメリカ人」
などに、アメリ音楽史を劇的に変えた。
しかし神はあまりに無情に彼を早く召され、
1938年の今日、38歳の若さで人生を閉じている。