時間

今年も後半にはいった。なんと時の流れの早いことよ。ついこのまえ庭の雪景色を見て
春のいぶきを感じたと思ったら暑い夏がそこに待っている。歳を取ると時間の経つのが
早く感じるのは年寄りの共通意識だが、成長の楽しみと前途の希望が無いのが主因だ。
私が兵庫県姫路市から上京した昭和20年代のとき汽車で13時間も座席に揺られて
来たが、当時の乗客たちは席に座れば友のように親しく話し車窓の風景を楽しみながら
旅の時間を満喫していた。♪今は山中、今は浜、今は鉄橋渡るぞと・・の世界だった。
駅に着けば車窓から弁当を買って食べた事も、トンネルに入れば一斉に窓を閉めた事も
遠い昔の思い出になった。でも記憶のなかで旅の時間はとても中身が濃かった気がする。
現在は新幹線で3時間30分、とても便利になったが窓の外は殺風景な防音壁が多く、
乗客たちは本を読むか眠っている。一日は昔も今も24時間なのに時間の使い方が下手
で、気持ちに余裕のないのは歳のせいばかりでなく世の中が変わりすぎたせいなのか。
成長期の子供は遊びにしても勉強にしても毎日が楽しく疲れを知らず夢中に走っている。
それは大人への階段を登っていた充実した時間だ。有限の人生時間は山登りに似ている。
「峠」の字は日本人が考えたらしいが、なかなか当を得て上手く作ったものだと思う。
高い山へ登った人も低い山へ登った人も中高年になれば後は下りだけだが同じ距離でも
登りよりも下りのほうが早いに決まっている。歩く速度も変えず、ただ黙々と帰路に
着くだけではつまらない。昔は人生50年だったが、今では昔の七掛けだそうで50歳は
35歳、60歳は42歳、70歳は49歳、まだまだ時間はたっぷり余りある。森繁久弥
「50になったとき、これで大台に乗ったと思った。それから後は還暦も古希も米寿も
 なにも感じない。句読点の煙草の煙のようなものだ。百になったら何か思うだろう」
と言ったが、人生の達人はそのチップを最大限に使い切るために今ここにある時間に
生きがいを感じているかもしれない。