不公平感

昨日も書いたが年金の不公平もさることながら職人の後継ぎがいないのも
切実な問題だ。日本人特有の優れた“匠”の技術が途絶えていくのは
由々しきことだと思う。いかにロボットやコンピューターが発達しても
細かい部分では人間の手には敵わない。日本の産業が発展し、栄えたのも
元をただせば長年培われた日本人が持つ匠の技術が基礎になっているのを
忘れてはならない。どんなに優れた企業の製品も下請けの技術の集合体で
成り立ち、携わる人たちの努力で支えあって社会に貢献してきた。世界で
最も豊かな国になったのも日本人の“匠”のDNAが成しえたに違いない。
けれど資源の無い日本では職人の衰退は国の衰退であることを知るべきだ。
そんな職人の努力を政治や社会はどんなカタチでも報いた事はあるだろうか。
答えは100%、NOである。例えば稲作の場合、取れすぎて休耕田にすれば
補償され、そのうえ米は輸入の関税で日本の消費者は国際価格の何倍かの
値段で買わされ、農家の繁栄のツケは日本人全体で背負っている。田舎を
旅すれば広大な敷地に立派な屋敷が点在するのを見ると複雑な思いがする。
職人は仕事が無くなれば何の補償もなく収入はゼロで最近では外国製品の
安い価格の氾濫に反映されて手間賃の値下げに繋がっているのが現状だ。
市井の片隅で今日も生きるために働く職人に日の当たる時は来るだろうか。
同じ日本で職業の差だけでこうも違うのは政治の怠慢と言わざるを得ない。
米は自由化をすればいい。自由な競争になればどんな産業も切磋琢磨して
成長していくに違いない。戦後の農地改革で傲慢になった多くの農家には
腹立たしいが一見善政のようで農地が細分化され非効率な農業が米価格を
押し上げたデメリットを再検討するときが来ている。