母の日

harimaya2006-05-12

明後日は「母の日」だが母が在って
言葉も交わせるが今は懐古しかない。
母が亡くなって4年の歳月が流れた。
幾つになっても母を偲ぶのは人間の
情愛の基なのだろうか。明治43年
11月18日生まれの母は大阪市東区
平野町の商家の家に暮らし少女時代
蝶よ花よの「おいとはん」で育った。
宝塚にも席を置いたこともあったし
踊り、琴、三味などたしなんでいた。
結婚後は父と6人の子供を儲けたが
気は優しくて子供たちを叱ったことはあまりない。戦後の困窮時代に
少量の卵や魚の配給も「うちは嫌いや」と食べずに父や子供に与えた。
晩年はスモン病に冒されて40年に亘るベットの生活を強いられたが
不平の一つもこぼさずいつも笑顔を忘れなかった素晴らしい母だった。
子にとって親は選べない。それだけに孝行らしいことも出来なかった
自分は悔いは残るがこの母を持った誇りはとても嬉しい。