隠居の独り言(172)

9月になって朝晩が随分と涼しくなったが、人間なんて勝手なもので
暑い日には早く涼しくならないかと願い秋になるとエネルギッシュな
夏の日々を懐かしむ。横網公園の蝉時雨もフィナーレにミンミン蝉が
夏も終わりだ、秋が来たよ、と知らせて短かった今年の夏は終わった。
季節の移ろいは私たちの感傷には一切お構い無しだが人間は、一応は
感情動物だから気温が下がればなんとなく淋しくもなり哀しくもなって
過ぎし日々を思い絵画を観賞したり音楽を聴きたくなるのは心の常。
人類がこの世に出現して、その芸術の始まりは秋だったのだろうか。
ギターを始めてしばらく経つが夏に弾くのと秋に弾くのでは何となく
音色が違うように聴こえるのは季節の取り持つ感覚の移ろいなのだろう。
18年前クラシックギターを習うべく村治昇ギター教室の門をたたいたが
先生の教えにも徐々に外れていつの日か弾き語りの道を歩んでいた。
クラシックからみれば邪道なのだろうが私流でそれでいいと思っている。
弾き語りはギターの練習のほかに歌の勉強が大きなウエートを占めるが
ラテンやカンツオーネなど一曲を仕上げるのに何ヶ月も掛かるのが多い。
パラグアイの名曲MIS NOCHES SIN TI(君偲ぶ夜)に挑んでいる。
自分なりのオリジナルを造る苦労も多々あるがそれだけに完成した時の
喜びは譬えようがなく、自己満足だがこれも人生の一里塚だと感ずる。
ヴェルレーヌの「秋の日のヴィオロンのためいき・・」の詩のように、
私なりに秋の夜長の弾き語りを楽しんでいる。