矢切の渡し

harimaya2007-01-11

江戸の昔は幕府の防衛戦略上の理由で
大河に橋を架けるのを禁止していた。
利根川水系の荒川も例外でなく矢切は
水戸街道の定船場の一つと指定されて
旅人たちや近郷の農民が利用してきた。
今も残る都内唯一の渡し場で柴又から
手漕ぎの船頭さんがのんびりと対岸の
松戸市と行き来している。河川敷では
正月映画には欠かせなかった寅さんの
撮影現場だった景色は今も残っていて
近所の子供たちは寒風に立ち向かって
野球や凧揚げに夢中になって遊んでいた。
伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台となり、昭和58年には船村徹が作曲し
細川たかしが歌った「矢切の渡し」は大ヒットになったのは言うまでもない。
♪つれて逃げてよ、つれておいでよ、夕暮れの雨が降る、矢切の渡し・・♪