隠居の独り言(326)

祖は武蔵八王子一帯の守護代の大石定重の配下に入ったらしく多摩川と秋川の
合流点にある滝山城(現八王子市丹木町)に配属され新しく築城された1521年
からの城士になったが、そのおりに小田原の北條氏が関東に覇を広げてきたので
大石氏は北条氏の娘を貰い姻戚関係になり事実上は北條の軍門に下る事になる。
北條氏からは娘と一緒に目付けとして多くの武士が付けられ名目は嫁を貰うが
大石氏の従来の家来達は北條の支配下に置かるが戦国時代とはそうしたものだ。
1569年に小田原に向かう武田信玄の2万の大軍が通り、別働隊の小山田信茂
滝山城を遅い陥落寸前に追い込まれたが祖を始め少数の寡兵で凌いだという。
しかしこの戦いは滝山城の防御体制が不十分であるとして八王子城を築城して
移転する事になり祖もこれを機に北條家の家臣として俸禄されるようになる。
今でもときどき武蔵野陵滝山城跡公園や高尾山など八王子郊外を散策すると
祖の歩いた昔が偲ばれて“家”という源流地帯がここにあったかと心が和む。
でも隆泰、義隆という祖の生きたこの頃の充実の時代も長くは続かなかった。
1590年に小田原城の北條氏政、氏直親子は豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして
滅ぼされたが秀吉は圧倒的な物資をもって取り囲むととともに別働隊をもって
関東各地の北条氏の支城を各個撃破し篭城戦によって敵の兵糧不足を待って
北条氏の意図を挫き殆どを無血で開城させた。八王子城も例外ではなかった。
秀吉の勝利後は北条氏の領土の全ては徳川家康に与えられ関東全体の巨大さは
250万石に相当して移封された家康は大大名となり大勢の北條家の家来を雇い
その中に武蔵七党の多くは徳川家臣団に組み入れられ祖は徳川四天王の一人、
酒井重忠に拾われ天正20年(1591)に大田道潅が築城したと云われる川越城
改築して出仕することになる。敗者の武士達は今までの俸禄はご破算となり
三河出身の酒井家古来の家臣の槍隊の一人として一から出直さなければならず
祖も厳しいものであったに違いない。  明日に続く・・