2007-12-14 忠臣蔵 ときは元禄十五年〜ベンベンと始まる講談で お馴染みの忠臣蔵は元禄15年12月14日の 深夜、吉良邸に大石内蔵助率いる赤穂浪士の 四十七士が仇討ちのため討ち入りを決行した。 赤穂浪士側は完全武装の奇襲作戦で一方的な 完全勝利だが吉良側は就寝中を襲われ16人の 死者を出し吉良上野介は首を討たれてしまう。 その後、浪士は亡君浅野の眠る芝・泉岳寺の 墓前に上野介の首を供えて事件は終わる。 一ヵ月半後に浪士たちは幕府の命令によって大石内蔵助はじめ全員が切腹して果てる。 世に言う忠臣蔵の顛末だが上野介が住んだ両国の吉良邸跡は今はひっそりと佇んでいる。