東京大空襲

harimaya2008-03-10

大戦末期の1945年3月10日の昼、一機の
アメリ爆撃機B29が東京の空を旋回した。
空襲警報のサイレンが鳴り響き人々は緊張し
空襲に備えたが一機はほどなく去って行く。
でもそれはオトリだった。皆がホットして
眠りについた深夜に300機のB29の大群が
東京を襲い満載の焼夷弾を落とし折からの
強風も計算されて超低空で下町の密集地に
投下された。その数は焼夷弾が約2000トン
惨状は想像を絶するものであったに違いなく
焼死した人は約10万人、負傷した人は数知れず、一晩中燃え尽くして東京の大半は
焼け野原になり、人々の逃げまどった惨事は地獄絵図そのものであったに違いない。
しかも、その日は日本の陸軍記念日アメリカの戦略は日本人の戦争へのダメージを
落としめる心理戦争の一環だった。その卑怯なやり方と、日本人の感情を逆なでした
アメリカの行為は今も許せない。20世紀の戦争は兵隊同士の戦いでなく民族浄化
大量虐殺が目的で、東京大空襲を始め日本各都市が爆撃を受け広島・長崎の核投下で
最後のとどめを刺され日本は敗れた。身を持って知った戦争の傷跡は今もなお残る。
今日の東京は冷たい雨が降っている。63年前に起きた惨事は忘れる事は出来無いが
慰霊堂に眠る犠牲者には、そぼ降る雨は悲しみを少しでも流してくれるのだろうか。
戦争は二度と起こすまい、と誓いと共に慰霊者の方々は安らかに眠ってほしい。合掌。