隠居の独り言(504)

孫の合格した中学校では制服はあっても制帽の着用は自由と定められている。
学校近くの帽子屋を訪ねたら「買っていく学生は10人に1人です」との事、
学生帽も売れなくなったものだ。自分が昭和20年代に帽子の製造元に小僧に
入った頃は一年を通してメーカーは学帽を製造し、合格発表の学期前の今頃は
てんやわんやの忙しさで大量に倉庫に蓄えられた製品が次々と出荷され時間を
惜しんで働いたものだった。「かきいれどき」とはまさにこの時期で帽子屋の
黄金の時代は明治・大正・昭和と一世紀は続いた。学生をはじめ軍隊、警察、
消防、郵便その他組織のあるものは制帽は欠かせないものだったし、戦前の
景色を撮った町の写真を見ても男性は着物姿でも帽子は必需品だったようで
鳥打帽やソフト帽など被っている風景が写り、頭のお洒落は粋なものだった。
その頃の帽子産業は一流企業で東証一部にも数社が上場され経営者の中でも
莫大な財を築いた人も多く景気のいい出世物語は今でも語り継がれている。
しかし栄枯盛衰世の習い、今はスーパーや小売で売られている品物の大半が
Made in Chinaでブランドや特許的なものの無い製品は安い労働力の外国には
価格の面で日本は太刀打ち出来ない。今の帽子業界の現状は斜陽産業の見本で
見る影も無く、特に製造業は絶滅寸前の希少動物のようでワシントン条約にも
保護されない。手先の器用だった日本人の匠がここでも泣いている気がする。