下田長楽寺

harimaya2008-05-26

安政元年(1854)日本と米国が条約締結をした
同じ年にロシアとも全権使節プチャーチン
日本が日露和親通商条約をこの寺で締結した。
これによって正式に日露間の国境線が決まり
千島列島のエトロフ島とウルップ島の海峡の
中間点に境界を置き、以北はロシア領になり
以南は日本領と定められ、樺太は日露両国の
雑居地として、お互いに認める事となった。
北方領土が日本の固有の領土という確約は
この時代、この場所で定まったが、エトロフ以南の千島列島の土地の戦後ロシアの
火事場泥棒的な強奪は、国際的にも人間的にも非道な行為であるのか計り知れない。
遠い昔の約束事であっても、それを守るのが信義であり国家や人の道であるはずだ。
思えば明日5月27日は1905年に日露戦争日本海海戦があった日だが、日本艦隊は
司令官東郷平八郎の丁字戦法などによりロシア艦隊の戦力を完璧なまでに壊滅させた。
今では歴史の舞台となった長楽寺は下田の海風を浴びながら静かな風情の中にいる。