隠居の独り言(535)

NHK大河ドラマ篤姫」の大奥の場面を見ると豪華絢爛な部屋、調度の数々や
生活の振る舞いなどは庶民からは遠く離れた贅沢三昧の様子に伺えるが、はたして
将軍や御台所の実生活はどうだったのだろうか。江戸時代にあっては徳川将軍家
私生活は厚いベールに包まれ旗下の側近といえども容易に知る事は出来なかったし
知っているのは僅かの女たちと数人の老女だけで他言はきつくいましめられていた。
この「秘中の秘」が幕府崩壊により初めて明らかにされたのは明治に入ってからで
岩波文庫の「旧事諮問録」に書かれてある証言によると旧遺臣の話では江戸前期の
大奥では贅を極めたらしいが、幕府末期の13代家定あたりから財政が困難になり
平生の服は汚れたものも多くなり飲食では御酒もたまにしか出ず、飯は炊きではなく
蒸飯で味は至って淡白、オカズも一汁一菜、器は何年も同じものを使っているので
漆の剥げた粗末なものが多く、むしろ諸大名のほうが暮らしぶりは良かったらしい。
そのうえ一日のスケジュールが決められ休日も一切無く、諸事質素な将軍の生活は
想像していたより、たいそう窮屈なつまらないものであったという。夜の寝屋とて
政治的な理由で側女達が耳を凝らしていたというから「睦言」もままならなかった。
大奥の女中も三代将軍家光の頃は1000人を超えていたが、八代将軍吉宗のときに
大幅なリストラがあって以来は人数が減って幕末の頃には500人程度だったらしい。
大奥のしきたりが次第に厳しくなり自縄自縛に嵌まるのはどの世界だって同じだが、
この証言とTVの情景とは随分かけ離れているが今になっては真相も霧の中だろう。
ドラマは家定(堺雅人)が実はうつけのふりをしているのではないかと感じた篤姫
宮崎あおい)は本人に真相を問い詰めようとする。でもそれは男と女の情愛の事で
側室のお志賀(鶴田真由)が、ただただ家定のそばにいられれば幸せだと答えるのは
むしろ女の情の深さを感じさせる。愛は理屈ではないことを篤姫はまだ分かっていない。