隠居の独り言(555)

「美しく死ぬのは難しい事ではない。だが美しく歳をとる事は至難の業だ」
フランスの作家アンドレジードの言葉だが今は病院で亡くなり看護士が
「死に化粧」を整えてくれれば美しく死ねるがそれは自らの努力ではない。
先日、ヘルパー養成講師の羽成幸子さんの講演を聞いた。「人生という山、
てっぺんは人生のゴール。ゴール手前では殆どの人が下の世話になります。
どんなにお金があっても、どんなに地位があっても、どんな生き方をしても、
必ず人は誰かの世話になる。そしてそれは当たり前のこと」と説かれたが、
たしかに人生を終える一つ手前に、介護されるという何もかも曝け出して
人間としての尊厳を捨てなくてはならない立場になるのは必至のようだ。
今は孫のシモの世話だが何年が後には自分が順番とは情けないが仕方ない。
でもせめてそこまでは美しく老いたい。肉体的な見栄えは老化現象とともに
醜さの加速は避けられないが前向きの自助努力は続けたい、面倒がらない、
夢を捨てない、くよくよしない、足るを知る、趣味に打ち込む、笑うこと、
身ぎれいに洒落ること、モダンな老人の生き方を意識することから始まる。
そして老醜は漠然と日々を過ごす事から始まることを、いつも肝に銘じる。
医学用語に「廃用性萎縮」という言葉があって脳にしても筋肉にしても
活躍が止まると機能や神経が萎縮して使いものにならなくなってしまう。
歳を取ると人の意見にも耳を貸さず頑固になるのも廃用性萎縮が原因だ。
人にはそれぞれ性格があるが、完璧主義者や真面目すぎる人ほど年齢を
重ねるにしたがって、その傾向が強まり融通が利かなくなるという。
さて自分は真面目でも不真面目でもないが生来の優柔不断が気にかかる。
ここまでくれば性格の直しようがないがアンドレジードの言葉のように
美しく歳をとる事は至難の業なのかもしれない。