隠居の独り言(678)

明日は「昭和の日」、子供の頃は「天長節」だった。学校では校長先生の挨拶の後
生徒は歌を歌った。♪今日の佳き日はオオミカミの生まれ給いし佳き日なり・
学校の帰りは、頂いた紅白の饅頭を持ち、みんなで斉唱しながら家路に着いた。
昭和は遠い昔になったが、最近とみに感じるのは自分が幼かった頃と現代では
聞こえてくる音の質が違う気がしてならない。例えば、街の人通りが少なくても、
歩く靴音や、話しをしている人の声、生活の音、雨風の音も素直に耳に入らない。
歳のせいとは言えない。自動車、電車、工事現場、商店街のスピーカー、宣伝カー、
それらの騒音がミックスして24時間鳴り止むことがない。かつての町の音源は
子供達の喧騒、歩く音、口笛、台所の音、母の呼ぶ声、そして親父の雷が落ちた。
音の源は人や生き物も含めて自然環境が発するものばかりだったし、そして何より
歌は心地よい音源だった。昼間は近所の原っぱや神社の境内で遊んでいた子供達も
夕方になり家に帰るときは「夕焼け小焼け」を唄いながら歩いたし、家の中では
母親が夕餉の支度をする時も歌を口ずさみながら手が動き子供たちはそれを真似た。
家の中は絶えず家族のハミングがあり、赤子を寝かせるにも子守唄は欠かせない。
向かいの女学生はいつも美しい声で歌の翼に、菩提樹を歌うのが存在感だったが
調子に乗って歌い過ぎると「近所迷惑だからもう止めなさい」の親の声で止んだ。
テレビもラジオもレコードも無かったが、大人も子供も声を出して歌って楽しんだ。
祖母の童謡、母の歌謡曲、父の浪花節、兄弟達では「お山の大将」が得意だった。
何時の頃から人は歌わなくなったのだろう?何時の頃から家の中から歌が消えたか?
現代はカラオケをバックにマイクを握って歌うのが通例だが、これは人の声でない。
その辺り自らの声で歌った大正・昭和を生きた老人は歌に関しては幸せだと思う。
幼い頃の浜辺の歌、七つの子、赤とんぼ、ふるさと、雨降りお月さん等の童謡から
戦友、麦と兵隊、愛国行進曲海ゆかば、などの軍歌まで聞けば老人たちは涙する。
現代の名人・氷川きよし天童よしみが、どんなに上手でも昔の味は出てこない。