隠居の独り言(775)

「粗忽の使者」という古典落語がある。治部田治部衛門という間の抜けた武士が
殿様の御用で使者となり赤井御門守の屋敷に意気揚々と伺ったまではよかったが、
屋敷の御門を潜ったとたん、さてどんな用件なのか、すっかり忘れてしまった。
困り果てたが、「拙者、使者の口上を失念つかまつった」と言ったから、大騒ぎ!
ただし治部衛門には、お尻をギュッと抓ると忘れたことを思い出す特技がある。
そこで大工の釘抜きでお尻を思いっきり抓ったら「う〜ん、思い出してござる」
あぁよかった!そこで三太夫が聞いてみると「屋敷を出るとき聞かずに参った」
落語だから笑ってすませるが、自分も治部田治部衛門のような経験が多々あって
得意先へ出かける際にも用事の幾つかを伝えたいはずが、何かが抜けてしまって
帰ってから気がつく。一応メモしているがメモを見るのを忘れるから始末が悪い。
いつかのギター演奏会の途中で頭が真っ白になって止まってしまった赤恥がある。
たしかに落語家や講談師など、あれだけの長時間の演目を全て諳んじて、尚且つ
観客に笑いや感動を与えられる記憶力と人間性はそこに達した努力に尊敬の一言!
記憶力とは関連性が無くても、得意先への請求書を他の封筒に入れてしまったり
仕様書を見落としたのは笑って済まされない。これは高齢によるボケの始まりか?
でもボケというなら、このような症状は小さい頃から既にあって小学校へノートや
筆箱を忘れて先生に叱られたのも、母親に買い物を頼まれて違うもの買ったのも・・
若い頃も電車へ傘を置き忘れる常習犯なので今も傘は値段の高いものは買わない。
ふりかえると何でもスラスラと短時間で覚えられたのは幼児期から小学校までか・・
祖母が教えてくれた童謡、数え歌、百人一首、小学校の教育勅語軍人勅諭など
今でも、おぼろげながら諳んじていえるのは所謂パソコン用語の「記憶容量」が
いっぱいあってディスクの中がガラガラだったのだろう。つまりボケというのは
高齢からのものでなく病気の一種であって、脳の中にある記憶を司る「海馬」は
刺激を与えれば、いつまでも働けるそうで「粗忽の使者」とは関係が無いという。
身体の老化は待ったが効かないが読み書きと音楽は一生の付き合いと思っている。