隠居の独り言(779)

2月7日は北方領土の日だが、おさらいをしておくと江戸時代の19世紀のころ
ロシアでは東方政策が強められシベリアを占拠し、或いは清国から沿海州などを
騙し取り、やがて樺太全島を不法占領し、別動隊はカムチャッカから千島列島を
南下して日本とロシアはこの地方をめぐって領土の争いが起きるようになった。
両国は交渉を続けた結果、1855年2月7日に静岡県下田市で条約が締結されて
国境が画定される。北方領土とは択捉島国後島色丹島歯舞群島のことで
1855年の日ロ和親条約で領土が確定した時に択捉島以南が日本領となっている。
忘れてならないのは日本がポツダム宣言を受諾して8月15日に終戦をしたが
その後2週間も経った8月末から9月にかけてソ連が侵攻し日本人を追放した。
現在も北方4島がロシア領土であると規定する国際法上の根拠は何処にも無い!
しかも大戦は日本と相手国が相互に宣戦布告をして実際に戦った戦争であって
ソ連とは不可侵条約を締結中で戦争の相手国では無い。それなのにソ連は突然の
火事場泥棒のように日本が弱りきった終戦直前に満州樺太、千島になだれ込み
満州では一般民間人にも暴虐の限りを尽くし、はては日本軍をシベリアに連行し
極寒下で強制労働をさせ多くの命を奪った。明らかに共産国家の人道的な犯罪だ。
北方領土は不法占拠されソ連が崩壊してロシアとなった現在もその状態が続いる。
大戦の末期に黒海に面したクリミア半島のヤルタで行なわれたヤルタ会談では
米英ソ三国の首脳が第二次大戦後の国際秩序を協議した会談だが、その中で
ソ連が対日参戦と引き換えに千島・樺太の割譲を決めた密約の極東問題では
米ソだけで行なわれ、席上スターリンは「千島列島は日本が今の第二次大戦で
占領した領土の一部だ」とルーズベルトに出鱈目を言ったという。千島列島は
1875年の千島・樺太交換条約でも決められた日本の固有の領土のはずだが
ルーズベルトは千島が日本の領土になった歴史的経緯を正確に示した資料に
目を通していなかった。当時、高血圧を患っていたルーズベルトは一方的に
スターリンの高圧的な態度に押され合意書に署名した。ではルーズベルト
側近は何も疑問を持たなかったのか?この問題はアメリカにも責任大と思う。
政府は当事者のアメリカに何故、質さないのか?何故、仲介を頼まないのか?
忘れてはならない事、許してはならない事、それは終戦時のロシアの蛮行だ!