隠居の独り言(935)

先月で歳をまた一つ重ねたが老人への風当たりがますます厳しくなる。老人とは
戸籍上の数字の多い事であって晩年とは少し意味が違う。特に麗しい女性からの
拒否感は見た目の老人で肌のシワ、頭の薄さ、古い話題の三点セットでは老人は
既に男ではないから近寄らないでと白い目で見られる。まぁ悔しいがしかたない。
社会の第一線から遠のけば過ぎた話の繰り返しで小馬鹿にされるのも仕方ないが
情けないのは老人の滑稽はそれに気付かないことで老いの加速度に拍車を掛ける。
自分は幸いにして都会に住んでいる。都会に住んで良かったことは距離や天候も
左右されず大した出費も伴わず美術館や博物館や音楽の演奏会を楽しめることで
体力の衰えた老人でも気軽に趣味を楽しめる。デパートを歩いて時の流行を知り
ついでにレストランや喫茶店で美味しいものをいただく。それは生きた町の姿を
見聞するためで外を歩くのは健康にもいい。老人は仕事を無くしたわけではない。
その仕事とは若い人達に長く生きてきた経験の良さを伝えるのが義務だと感じる。
例えば老人は言葉遣いを意識しよう。今の若者言葉は本来の日本語からは程遠い。
ヤッパー、マジー、ヤベー、ウッソー、チョー、ウルセー、これは日本語ではない。
語尾を極端に伸ばすのは学校や家庭で習ったはずの国語の知識から逸脱しているが
気になるのは最近の大人たちの言葉の中身の薄さだ。今のカタカナ文字や省略語が
多すぎるのも原因だが縮小と省略とは全然違う。テレビはテレビジョンの縮小だが
ジーは真面目の省略だ。軽便化と効率化を図るのは便利そうでも美しい日本語が
滅んでいく。しかもメールという伝達手段が出現してますます簡略化、隠語化して、
このままでは正しく書けない、肉声できちんと話せない人が多くなるのではないか?
この際老人は後輩に正しい言葉を伝えるのが役目と思う。老人が範を示す意味にも、
老人が生き甲斐を持つ意味にも、日々の暮らしの中に自ら美意識を持つのが大切だ。
いつも笑顔を絶やさない、言葉の話し方、ヨイショを言わない、歩く時も姿勢を正す、
意識だけで若い人に伝わる。アメリカの詩人サミュエル・ウルマンの言葉は素敵だ。
「人間は歳を重ねただけでは老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」