隠居の独り言(943)

お茶々(宮沢りえ)が秀吉(岸谷五朗)の子を身籠ったのは天下の一大事だが
52歳にもなって突然のように子が授かるなんて当時の生活水準や寿命からし
奇跡のような話だがこれにも異論があって本当に秀吉の子であったのだろうか?
理由として、1秀吉に子種が無かった。2若い頃からの見境のない多淫な性格で
性病に罹っていた。3茶々の不義の子。4豊臣家存続のために別の子を認知した。
秀吉は無邪気に喜んだし茶々にとって男子の出産は天下人の母になる夢が叶った。
茶々の相手は石田三成大野治長か?諸説ふんぷんだが秀吉の子、秀頼は家康も
心配したほどの美丈夫で豊臣家廃嫡の遠因になったというから真偽は分からない。
それはさておき歴史好きにとって戦国期を纏めた信長、秀吉、家康の比較論ほど
面白いものはない。「鳴かぬなら鳴かせてみよう ほととぎす」芝居で言うなら
三人の役者を同じ舞台で立たせて見られる後世の観客の私達は幸せ者だ。しかし
信長、家康は生まれつき小さくても一国一城の跡継ぎで家柄と地盤と家来を持ち
それなりの妻子を持てたが秀吉は貧困の中で育ち大人になれたのが奇跡のような
苦労人の女性関係は出鱈目放題であったに違いない。おりからの南蛮船の到来で
日本では免疫の無い梅毒が蔓延しとくに下層階級で後遺症に悩んだ人が多かった。
大谷吉継や数名の大名が梅毒に犯され苦しんだが貧困育ちの秀吉も例外ではない。
秀吉の病気説はともかく関白の地位を極めても親ばかの人間味は誰も変わらない。
そして秀吉に子が出来た事によって天下の情勢が変わっていく。それは皮肉にも
豊臣家の滅亡に繋がっていくのだがそれは後の話・・大河ドラマ「江」を見ると
江(上野樹里)は茶々が秀吉の側妻となり結ばれたことを知ってショックを受ける。
一方の浮かれ気分の秀吉は聚楽第の屋敷内で家康(北大路欣也)と利休(石坂浩二)に
茶々との仲をのろけていた。その後に秀吉が茶々に会いに来ると聞いた江は怒り
秀吉のもとへ抗議にいくが、江に茶々の女心の変化を見抜くには若すぎる。