隠居の独り言(946)

「この世をば我が世とぞ思う 望月の欠けたることも 無しと思えば」この詩は
平安時代中期に権力を誇った藤原道真が詠んだものだが、下って16世紀後半の
秀吉(岸谷五朗)にとって現世の幸せを独り占めしたような興隆期でもあった。
1585年に茶々(宮沢りえ)に男子が生まれて豊臣家の跡取りに秀吉は狂喜した。
秀吉の運の凄さはそれだけでない。秀吉が天下を取る時を待っていたかのように
日本中の鉱山の金の産出が飛躍的に増えたことで桃山時代から江戸時代の初期に
かけての数十年は世界随一の金の産出国でもあった。まさに日本列島は未曾有の
ゴールドラッシュで日本史を調べても後にも先にもこの時期を置いて例が無い。
その財宝を秀吉は独占していたから現代でいえばランキング世界一の資産家で
そのうえ豪勢な秀吉の金の使い方も諸大名に対し手掴みで与え彼らは平伏した。
今に伝わる桃山期の芸術も絵画や漆器等を見ても世界に類のない金を散りばめた
作品が多いが黄金の芸術だろう。ついでながら遡る平安期に奥州藤原氏が平泉の
金色堂の噂を聞いた西洋人が「黄金のジパング」を目指したが幻に過ぎなかった。
それでも藤原氏豊臣氏の時代にジパングに魅せられ西洋人が大海に繰り出して
世界史が大きく変えたことが今に至る。ついでのついでにいえば当時世界屈指に
繁栄した日本がアジアの各地に日本町を作り世界観を広げていったのに豊臣後の
徳川政権は鎖国で国を閉じて日本人をコビトにしてしまったのは実に悔やまれる。
大河ドラマ「江」は秀吉は子を授かったことを祝い京の淀に城を築く事を決める。
出産まで4か月あるにも拘らず男の子の物をそろえる秀吉の姿に江(上野樹里)は
困惑するが茶々も秀吉に男子だったら実家の浅井氏の法要を営む許可を嘆願する。
ついに城が完成し淀君となった茶々は男子を出産、秀吉の得意絶頂の顔が浮かぶ。