隠居の独り言(960)

暑い夏が来るたびに思い出すのは小学6年生のころ、疎開先の福島県白河は
戦争末期のアメリカ空軍の飛行ルートで三陸沖に停泊中のアメリカ空母から
関東地方を爆撃するB29の擁護のためにP51の戦闘機は宮城県に上陸をして
福島県中通りのルートを低空飛行で連日飛んでいく。昭和20年代に入ると
日本本土の制空権と制海権は完全に敵のものになり敗戦は時間の問題だった。
B29爆撃機は南方のグワム、サイパンから飛行し、北方からのP51戦闘機は
燃料節約のためか低空飛行で操縦士の顔が見えるぐらいの近くを飛んでいく。
戦争が人間を変えるのかP51の操縦士は住民がいれば機銃掃射を掛けてくる。
空襲警報は一日何度となく鳴り、そのつど住民は近くの森の中に逃げ込んだ。
アフリカのサバンナでライオンに怯えながら暮らしている草食動物みたいで
戦争に負けるというのは実に哀れなものだ。そのうえ食料は慢性的に不足し
人々の殆どが餓えに苦しんだ。わが家も農家でないので僅かな食糧の配給と
農家を手伝って凌ぐしかなく学童といえども山や空き地の開墾に精を込めた。
もとより教育など考えるゆとりも無く学校は閉鎖され校庭は畑になっていた。
連合軍が日本に完全降伏を迫ったポツダム宣言は20年7月に発表されたが
すぐにも受けいれていれば原爆の悲劇もなかったし、ソ連の参戦もなかった。
僅か一か月半の8月15日終戦までのロスタイムは軍部の強硬派と政治家の
和平派との不毛な話し合いの小田原評定が悲惨な被害を大きくして降伏した。
繰り返すが敗戦とは惨めなものだ。同じ戦争でも勝った側のアメリカは生活に
変化なく衣食住は満ち足り映画界も全盛で夜はクラブからジャズが流れていた。
人が生存競争する限り戦争は絶えないだろう。ただし戦争の反省は自虐的でなく
いかに自国が強くなり良い友人を持つことだ。もし戦争で日本が連合軍側なら
惨めさは無かったはずだ。今の政治家たちは日本の将来をどう考えているのか?
二度と惨めな敗戦の轍を踏みたくないなら国家を強く、良き友と付き合わねば・・