隠居の独り言(961)

古今東西の政権に派閥があるように秀吉(岸谷五朗)が天下を治めると豊臣政権にも
自然発生的に派閥が出来ていく。秀吉が最初に尾張の信長(豊川悦司)に仕えた頃は
自らが卑賤の身分であったから家来も出来るわけがなく女房のおね(大竹しのぶ)が
親戚や近所の子を親代わりに面倒を見て育て上げた家来が加藤清正福島正則などの
尾張衆と称するグリープで秀吉が戦さで野山を駆けたときも小姓として共に行動した。
やがて信長の信頼を得て側近級となり近江へ進出した折に現地で仕えたのが近江衆の
グループで石田三成増田長盛などで戦国武将というより経理・戦略に長けた人物を
雇ったのだろう。尾張出身の侍が武断派なら近江出身は文治派として二派に分かれた。
実際に近江人は金利計算や損得勘定に鋭敏であり、その後の日本経済に与えた影響は
現代にも通じるものがある。天下を治めた秀吉の経済の臭覚が、やがて近江出身の三成
萩原聖人)に政治の全権を託すまでにしたのが派閥争いに火に油をそそぐ結果になる。
明や朝鮮に覇権を求めたのは天下統一後に武勇をあげた武将たちに褒美として与える
土地が無くなり日本の外に目を向けた秀吉が海外に覇権を求めた意図のひとつだろう。
当時の白人による植民地主義は現地人の搾取による利益目的で領土は結果的に得たが
日本の海外進出は最初から軍隊で攻めるから後々まで現地の人の反感を買う事になる。
今に至る中国や韓国の反日感情の根源は日本軍の一方的な侵略で子々孫々に至るまで
恨みを抱かれる結果は秀吉も罪なことをしたものだ。大河ドラマ「江」のストーリーは
江(上野樹里)が初めての子を出産したが秀勝(AKIRA)を失った悲しみから抜け出せず
子供を抱くことすらできないでいた。一方の江戸では秀忠(向井理)が秀吉軍の蛮行を
あざ笑っていたが秀勝の死去の知らせを聞いていつになく神妙な表情を浮かべている。
聚楽第では年が改まって初(水川あさみ)が江のもとを訪れ江の心を立ち直らせようと
奮闘するが…。