隠居の独り言(1091)

今年も「敬老の日」が近づいたが、自分も一応分類上では老人の一人になっている。
その昔、唐代の詩人・杜甫は七言律詩「曲江」で人生七十年古来稀なりと書いたが
当節の日本では古希はザラにいて体力も知力も若者に負けないで稀とも何ともない。
現在は65歳以上が老人とされているが実際は老人の定義は75歳以上が適当だろう。
昨年に総務省が調べてみたら65歳以上の爺さん婆さんが3000万人を突破したという。
日本の人口12,000万人として四分の一を老人が占める。急速な高齢化は医療や福祉の
影響が大きく毎年1兆円が自然増となる。消費税増税が国会で可決されたが10%で
僅か5年しか保てない勘定で、増税分の殆どが老人向けの社会保障で消えてしまう。
この増税社会保障のイタチゴッコではいつか巨大国債がパンクすることは必至だ。
いますべきことは支えられる側の老人をスリム化すべきで、会社の定年制を延ばす。
年金支給開始年齢の引き上げ、医療費窓口負担の2割原則、後期高齢者制度の廃止。
社会保障は年齢別でなく所得水準で区別する。若者より所得の多い老人も少なくない。
将来の少子高齢化は、単独世帯、夫婦のみの世帯や、孤独老人が増加して家族制度が
完全に崩壊し、子供に頼れぬ老人が多くなり独りで健気に生きる覚悟が不可欠になる。
「相老い」という言葉がある。夫婦がともに年齢を重ねて長命で暮らすことを指すが
どんなに長生きしようとも夫婦仲が険悪では充実した老後に程遠い。夫が仕事現役中は
朝起きて一時間、帰宅して三時間くらいで妻との付き合いは済んでいたが定年後には
四六時中、顔を突き合わせることになり弾む会話なく共通の話題も無くなってしまう。
歳を取り頭が固くなり融通の利かなくなる例が多いがそこは努力で相手に合わせよう。
無為徒食の男はますます老化の加速度を増す。長年の薀蓄を妻との会話に生かせよう。
例えば冷やし中華を食べる。具の胡瓜やチャーシューはどこで刻んでいるのだろう?
このゆで卵はどこかで何万個も生産している工場があるだろうね?そんな他愛のない
話題でいい。互いが無口の向きあいでなく話しながらの食事は格別に美味しいと思う。
そして食事の時はテレビを消そう。少しのアイディアと機転で夫婦だけの時が流れる。
それでも別れる時が必ず待っている。老いていく知恵を働かせるだけでも人生は輝く。
今更若い人に敬ってくれなくていい。人生のターミナルは自分でブレーキを掛けたい。