隠居の独り言(1105)

11月3日は「文化の日」だが自分が子供の頃は「明治節」だった。つまり明治天皇
お誕生日で嘉永5年(1852)11月3日、孝明天皇の第二子として京でお生まれになった。
この辺りは小学校で先生から教わった。1852年と言えば黒船来航の年で日本がまだ
江戸時代の最中で人々は日本列島だけが天下であり外国は遠い海の果てと思っていた。
当時の日本の人口は約3000万人、ニホンオオカミニホンカワウソも生息していた。
鎖国以前は当時は最高の強国だった中国やヨーロッパの渡来人から文明を教わったが
江戸時代は日本人だけの知恵や経験、感性で作り上げたもので結果としては日本史で
最も長く豊かで平和な社会を作り出していた。外国からの政治的な思想の干渉もなく
200数十年の長きに亘った日本人独特の常識や美意識が生まれた平和な時代であった。
明治天皇がお生まれになった頃の日本は反面に低成長期が続いていた。武士の給料は
1600年、関ヶ原の戦いで徳川方にどれだけ貢献したかによって石高が決められて以来
江戸時代260年間ベースアップゼロ、物価が上がっても給料は元のまま状態だったが
庶民は身分だけは士農工商に縛られていても実際は謹厳な階級よりも、むしろ自由と
経済力を満喫していたのは武家以外の社会であり豊かさを肌で感じたのも農村だった。
その点は西欧の身分制度と違って万遍のない日本人の心の豊かさの歴史が感じられる。
経済の閉塞感は黒船の眩しいばかりの科学文明を見て外国から危機感を抱いた若者は
幕末の修羅場を経て日本を開国し明治維新の曙を迎える歴史の流れになるが明治には
キラ星のように多くの傑物が出て日本は海を渡って外国に乗り出し日清日露の戦争の
勝ち戦を経て世界の一流国にのし上げたが、それも一瞬の花火のように咲いて散った。
明治天皇がお生まれになった100年後には先の大戦に負け元の木阿弥になってしまう。
江戸時代の日本が背伸びしても所詮は虎の張子で現在の我が国が身分相応なのだろう。
戦争に負けた夏の日の悔しさと絶望感は消えることはないが、結果これで良かったと
思えるようになってきた。アメリカ、中国、ロシア等の大国は民族間の争いがあって
統制を取るのに苦労しているが日本ぐらいの小国では人種も同じで政治、経済、言語の
共通が有り治安も良く暮らしやすいし国家とは適度な国土と同じ人種の集合体がいい。
元禄の油煙斎貞柳は「百居ても同じ浮世に同じ花、月はまんまる雪は白妙」と詠った。