隠居の独り言(1118)

先日、友人と駅のホームで談話していたとき目の前に木村拓哉のCMの看板があった。
周知の通り木村拓哉は歌手、俳優、タレントでアイドルグループSMAPのメンバーで
キムタクの愛称で女性に圧倒的人気のある美男だが彼も40歳を過ぎて新鮮さが遠のく。
平成のイケメンはキムタクだが昭和のイケメンといえば美男俳優の長谷川一夫だろう。
長谷川一夫は19歳のデビュー、75歳で亡くなるまで「水も滴るいい男」と言われた。
年寄りから見て今の日本の若者は格好いいのが多いが、歴史を紐解くと美男子の祖は
日本書紀」に出てくる日本武尊あたりか?娘に化けたという伝説があるくらいだから
優男だったに違いない。美男子の姿は愁いを秘めて女装してもサマになる姿かたちだ。
文武両道にも長け特に女性には優しいのも美形男子の資格だろう。次に時代が飛んで
大津皇子草壁皇子なども何年か前に墓が発掘され遺骨から判断して美形だったとかで
二人は享年23歳と27歳、つまり夭折するところも涙を誘い大きな意味を持っている。
今の大河ドラマの神木隆乃介が演ずる源義経も美男子の誉れが高く後に兄の頼朝から
追われて悲運の人生を歩んだために義経の位だった「判官びいき」の言葉も生まれた。
義経も享年31歳。源平の一の谷の戦いで熊谷次郎直実に首を取られた平家の美少年の
平敦盛は僅か17歳だった。笛の名手でもあり、後には能「敦盛」の題材となり一節の
「人間50年、下天のうちにくらべれば・・」を謡いながら織田信長は本能寺で死んだ。
くだって戦国末期の大阪夏の陣で豊臣方の使者で美形だった木村重成は弱冠22歳で
狸親父徳川家康と対等に交渉して豊臣親子の命の保証を約したのに家康は反故にした。
江戸時代に起きた島原の乱の指導者で慈悲深く容姿端麗だった天草四郎も享年17歳。
幕末維新でも新撰組沖田総司土方歳三、伊庭八郎、そして国家維新のため尽くした
吉田松陰坂本竜馬高杉晋作、みんな美男子で若死にしている。これらの人たちが
もし天寿を全うしたなら日本の歴史も大いに変わっただろう。先だって人気歌舞伎役者
中村勘三郎が57歳で亡くなったが、昭和の石原裕次郎美空ひばりも52歳で没した。
思うに日本人の感じる美形の美学は悲運や夭折があってこそ完結されるものと感じる。
たとえ悲運でも、平凡に生まれ平凡な人生を歩んだ凡才には名を成した人が羨ましい。