忠臣蔵

harimaya2012-12-13

元禄15年12月14日早朝、大石内蔵助率いる
赤穂浪士47人は吉良上野介の屋敷に押し入り
上野介の首級をあげ主君・浅野内匠頭の恨みを
果たし高輪泉岳寺の内匠頭の墓前に報告をした。
浪士47人めざましく全員無事で逆に吉良側は
3倍の人数がいながら16人が殺されて終わる。
敵討ちの美談はメデタシ、めでたしの決着劇で
後世に語り継がれ歌舞伎の大ヒット作になった。
でも少し考えてみよう。赤穂浪士が深夜の寝込みを襲うなんてテロリスト達ではないか。
上野介が殺されても仕方ない因業爺にしても切られて死んだ家来や、その妻子にとって
あまりにも可哀相。喧嘩両成敗というが浪士の墓所は線香が絶えなくて、吉良の家来は
埋骨の場所さえ分からない。忠臣蔵が好きになれないのは、陰で泣いた人が多過ぎる。