隠居の独り言(1136)

空海は「近くして見難きもの、わが心」と言ったが、人は他人の悪いことは分っても
自分の悪いところを知ろうとしない。またも体罰問題が噴出した。ロンドン五輪での
女子柔道の園田隆二監督が「指導」とやらの暴力の他にパワハラも振るっていたという。
パワハラの中には「死ね」「ブタ」とかの暴言を吐いていたというから庇いようがない。
しかも母体の全柔連の対応は責任の、もみ消しに躍起となっていたというから呆れる。
根深い不正を真に悔いるなら最高責任者の上村春樹会長も潔く責任を取るべきだろう。
今回の事件は2020年東京五輪の招致も影響されるというから柔道界だけの問題でない。
大阪の桜宮高校バスケット部の主将を殴って自殺まで追いやった事件も含めて全国で
これは氷山の一角だろう。教える立場として殴れば人を変えられると思うなら間違いだ。
園田監督も桜宮顧問も共通するのは栄光の思い上がりで相手を察することが出来ない。
人の才能や性格は生まれながらの天賦であり、暴力で変えられるものなら精神科医
司祭者も要らない。性格を変えるなら好きな女に捨てられたほうが、よほど効果がある。
長期間、同じ屋根の下で連れ添った夫婦だって相手の性格を変えるのは不可能に近い。
都合の悪いところは人のせいにして良いところを自分のせいにするのを邪悪心という。
しかも監督、教師達が暴力を振るうのが当たり前の思い込みがあるのが考えさせられる。
何か都合の悪いことが起こると隠蔽工作に走る指導者連は自己保身のための邪悪心だ。
自分も戦前の教育を受けた一人だが当時も遅刻や規則違反には必ず体罰が待っていた。
けれど先生の体罰は頬にビンタ一発のみ、痛かったが先生は「愛の鞭」を知っていた。
桜宮高校は無垢な少年が命を絶ったというのに裁判所で話し合いによる解決の道とは
生徒が哀れでならない。自殺した生徒の手紙には「なぜ僕だけが、しばき回されるのか」
「僕はもうこの学校に行きたくない」など心情が綴られていた。しかもバスケット部が
一時的にも無期限活動停止処分になったのも生徒には何の責任もないのに連帯責任を
背負わされるのは、どうしてなのか。体罰は理由によっては必要なこともあるだろう。
学級崩壊のリーダーやイジメの常習者には行うべきだが、それでも後遺症が残るまでの
暴力は教師たる資格はない。桜宮高校の体育科を改めることが先決で、全国に蔓延する
学校の暴力事件を変革する良いきっかけになる。とにかく責任者は逃げるべきでない。