昭和一桁生まれ

harimaya2014-04-16

1933(昭和8年)4月16日、大阪市東区平野町で
生を受けた。母は難産の末、産んだと聞き及ぶ。
今日81歳になる。通称「半寿」ともいうが八十一の
字を崩せば「半」で、半分目出度いということだろう。
その昔、一休禅師は歳を重ねてからの誕生の日は
「めでたくもあり、めでたくもなし」と詠ったが実感だ。
昭和は遠くなりにけりという。生まれた昭和初期は
混沌とした実に変化に富んだ激動の時代であった。
昭和という時代が、何をもたらし何を残してくれたか、自分は誇らしくあり哀しくもある。
大阪で生まれ大阪で育った体験は今でも関西弁が忘れたと思っても何かで飛び出る。
「雀百まで踊り忘れぬ」という。歳を取っても、いや取るほどに余計に関西弁が恋しい。
自分は、ものの感じ方、考え方もどこか関西的なのんびり、おおらかな部分があって
人生の大半を東京で暮らしていても江戸っ子のようにスパっと物ごとを決められない。
今の80歳以上にあたる昭和一桁生まれは戦争を心身共に体験した苦い時期がある。
そして教育勅語を習得した最後の世代で、敗戦、飢餓、丁稚、諸々の苦労も味わった。
だから否応のない急激な運命の変化にも耐えられる昭和一桁生まれと自負している。