隠居の独り言(1286)

歳を重ねると子供の頃が懐かしい。前項の白河の体験の続編のようだが見てほしい。
最近はどの家でも何冊ものアルバムやPCに内蔵されている写真があってその家の
歴史が年毎に記録されている。子供が産まれたその日から色々あった成長の過程に
過ぎし日の思い出に耽れば夜が明けてしまうくらい写真は貴重な家族の宝物だろう。
しかし自分が生まれた80年前の昭和の初め頃は、まだまだカメラは貴重品でどこの
家でもあるというものでなかったし現代のように気軽に撮れるというわけにいかない。
何かの記念日に写真館に行って撮るのがせいぜいだった。僅かに残っている数枚を
年代順に並べてみても年の数に満たないのが現状で空白の年数の方が遥かに多い。
子供の記憶が少ないのも年順での写真という媒体が欠落していたせいかも知れない。
昔の記憶はおよそ頼りにならないもので悲しさも嬉しさも何か事件でもないと蘇らない。
戦中に十代という、どの時期にも増して感じ易い年代を過ごした福島県・白河の町は
自分には幻想の町だ。なぜなら白河で過ごした四年間での写真が一枚もないからだ。
思い出というものは何でも懐かしく美しいものではない。同じ数だけ苛酷で心身ともに
辛く冷たい思い出が人生の一部分を占めている。父は硫黄を発掘する鉱山の会社に
勤めていた。白河の西部に連なる那須山脈の山々は硫黄の産地として昔から知れる。
硫黄は鉄砲や大砲の火薬の一部として欠かせない。当然に掘り出された鉱物は軍に
納められていた。鉱山は山の奥地にあり何十人もの人たちが奥山の孤立した鉱山で
働いていた。生活物資の輸送は町から荷馬車で山の麓まで運びそこから険しい道を
人夫が半日をかけて荷を担ぎ登り降りをしていたが或る夏の日に少年は手伝いした。
荷物の重さは忘却だが深々とした山中は夏でも涼しく聞こえるのは微かな風でそよぐ
木の葉と川のせせらぎと、どこからか吠える動物の鳴き声が自然の深さを感じさせた。
着いた鉱山の景色は想像していたより閑散として人は和気藹々で雰囲気が良かった。
夕食は山菜の他に生まれて初めて熊や鹿の肉を食べたし、蜂の幼虫も美味しかった。
トイレは小川の上の掘っ立て小屋で下には清らかな泉の水が流れ贅沢な水洗だった。
飯場や男達の世話で少数の女がいたが夜の露天風呂は混浴だったのを覚えている。
ある夜のこと、一人の女性の白い裸身が眩しく映った。頼りにならない記憶もそこだけ
鮮明なのはどうしてだろう。湯気の込めた朝靄のような不透明な中での幻景だった。