隠居の独り言(1295)

毎晩、帰宅すると卓袱台の上にラップした夕飯が数皿置いてある。早速、台所に立ち
おかずは電子レンジで温め、お茶はポットから一旦湯冷ましに入れ、急須に注ぎ込む。
保温されたご飯は茶碗にしゃもじ一杯軽く入れることにしている。腹八分目の容量だ。
ほどなくレンジが時間で鳴り、卓袱台の上の夕刊を見ながら夕飯をひとり食べている。
我が家は老妻と二人暮らしだが夕飯をひとりで食べるのは夫婦の不和が原因でない。
自分の帰宅を待って老妻はすぐ入浴するが、いつも帰宅が8時過ぎで、老妻の9時からの
テレビドラマに合わせているからで、ときどき老妻の肩こり症の肩たたきにも付き合う。
老々生活という得体の知れない時を続けるには若い時の燃え上がる炎の延長でなく
長く持たせるトロ火のようなものだが、そのトロ火でも知恵とテクニックが必要となる。
賞味期限切れの老夫婦とも最近、物忘れがひどくなってきた。老妻のことはさておき
仕事の計算を間違えたり、ケータイを忘れたり、先日はメガネを掛けてメガネを探した。
テレビでは全国の認知症患者が行方不明になるケースが1万人超えたと報じている。
他人事じゃない。夫婦というものは不思議な縁で結ばれ、一緒になってからが問題だ。
情熱は既に失くし倦怠に耐え苦痛を堪えどう生きるか、欠点やアラばかり目立っても
情味、情愛を思いスルメのように味を噛みしめながら生きるのが老夫婦の定めだろう。
それでも一人消えれば孤独になる。孤独に耐えられる気力も月日とともに萎えていく。
来年は50年という節目の金婚式だ。50年という長い年月を保てた理由は様々だが、
二人だけの時間の短さと、一定の距離と、趣味の違うのも、良かったのかもしれない。
どんなに仲が良い夫婦でも所詮は他人で互いに人格を認め合わないと長続きしない。
結婚生活が退屈だということの理由の一つは夫婦の間には秘密がないという前提が
あるからで、相手を完全に知っていないからこそ相手の新しさを見つけることができる。
相手の立場をいつも思い教え教えられる楽しみの共有感を持てば老後は成功だろう。
何も勉強だけでない。歩く楽しみ歌う楽しみ絵を描く楽しみも老いて盛んになるべきだ。
人生の先行きは神に聞いても教えてくれない。良寛の言葉は「死ぬときは死ぬがよし」
長寿であることが幸福なのか老人には今まで気付かなかった孤独感や寂しさがある。
長い過去を振り返るとき人に言えぬ悔恨の出来事が積み重なりあって心が苛まれる。
○○許して○○勘弁、人生の最後は、多分連れ合いだけなのに矛盾のまま命絶える。
三途の川で、きっと閻魔様に舌を抜かれるだろう。今更悔いても手遅れだが・・・