隠居の独り言(1306)

日曜日夜の楽しみはNHK大河ドラマ「軍師・官兵衛」だが、昨夜は今年の折り返しの
本能寺の変」で、明智光秀春風亭小朝)が主君・織田信長江口洋介)の度重なる
嫌がらせや酷い仕打ちに謀反を起こし、信長が少数の家来だけ従え京都・本能寺に
泊まり油断していた6月2日未明、一万数千の軍勢で奇襲し信長を死に追いやった。
所謂「本能寺の変」で魔王と称された信長が灰となって突如この世から消えていった。
驚くべき速さは3日の深夜に秀吉(竹中直人)の陣営にその事実が知らされたことだ。
無論2日には秀吉は事実を知らない。知らないまま本陣再訪した恵瓊(山路和弘)と
和議を整え高松城主・清水宗治(宇梶豪士)の切腹を2日後、4日早朝と決められた。
まさか、その日に主君・信長が殺されたとは、合戦の双方ともに夢にも思わなかった。
3日深夜、秀吉は家来に起こされた「今、陣中に迷い込んだ者が懐中に書状を持って
いました」書状は毛利に向けた明智光秀の直筆だった。「主・信長を本能寺で葬った。
手を携え秀吉を挟撃すべし」家来に、不憫だが直ちに使者の首を刎ねよ。他言無用。
知らせを聞いた秀吉は、まさに驚天動地!しばし声も出ずに途方にくれたに違いない。
テレビでは秀吉よりも官兵衛のほうが先に密書を読んだと描かれているが考えにくい。
黒田官兵衛岡田准一)は、すぐさま秀吉から呼ばれた。石田三成田中圭)が来て
「殿が是非との伝えです」深夜に起こされた官兵衛は大変な事が起きたと咄嗟に思った。
「上様が亡くなられた」官兵衛は言う「織田様が亡くなられたのですか」「そうじゃ、昨日
本能寺で亡くなられた」「病死ですか?」「明智殿の謀反じゃ」「・・・」「嫡子の信忠様も」
官兵衛は驚愕のあまりしばし黙り込んだが、咄嗟に思ったのは今このことが毛利方に
知られてしまったら高松城の和議どころか秀吉軍は毛利と明智に挟まれて全滅だろう。
「殿、冷静におなりあそばせ。とにかく今は毛利に通じる、あらゆる道を遮断しましょう。
そのうえで和議を結び、反転して京に向かい明智と戦い、上様の仇討ちをするのです」
官兵衛には悲しみや感傷はなかった。今は秀吉を鼓舞して迅速に行動するしかない。
6月4日、正式に和議が成立した。この時点で毛利は信長の死を知らない。宗治は
秀吉が差し向けた船に乗り、船上で見事な切腹をした。清水宗治、享年46歳だった。
信長の横死を知って、高松城陥落までの経緯と時間の経過は秀吉、官兵衛、三成の
胸中はいかばかりだったか想像に絶するが歴史の転換というものは誰もが想定外の
出来事であることは古今東西の史実が物語る。「信長以降の天下」が秀吉に見えた。
ここ数回、官兵衛の「有岡城幽閉」から「中国大返し」までの劇中劇は一番の山場だ。
大河ドラマ「軍師・官兵衛」の後半に期待している。