隠居の独り言(1350)

今年も同世代の有名人が多くこの世を去った。高倉健米倉斉加年、イベット・ジロー、
菅原文太など・・恥ずかしながら自分は若い頃、映画をあまり見ていないので俳優に
馴染みが薄い。それでも痛惜に想うのは山口淑子李香蘭)の訃報を知った時だった。
李香蘭として、子供の頃は彼女が歌う「夜来香」「支那の夜」「蘇州夜曲」が好きだった。
貧しかった時代、物の無い時代の少年に李香蘭の歌はかけがえのない心の歌だった。
山口淑子満州生まれだが満州と聞くと親しみ郷愁を覚えるのは脳幹の記憶だろう。
昭和一桁生まれの自分が物心ついたとき満州ユートピアであり憧れの土地だった。
数十年ほど前にギター弾き語りで老人ホーム慰問していたとき、一番に受けたのは
「戦友」だった。わずか数十年前だがホームに入居されている老人の多くが父や夫を
戦場で亡くされた方が多かった。なかでも支那事変(日中戦争)や満州居留民からの
帰りの人がホームに多くいられた。「戦友」は日露戦争の戦争図を描いたものだが、
軍歌のなかでも叙情的な歌詞とメロディーは心に沁みるものがある。♪ここはお国を
百里、離れて遠き満州の、赤い夕日に照らされて・・」ホームのお年寄りは皆涙した。
自分は満州に行ったことはないが、いまでも満州の新京、大連、奉天、ハルピン等の
地名を聞けば、まるでそこに自分が住んでいたかのような懐かしさを覚える。それは
昭和一桁世代の共通した奇妙な感覚と思うが、あの時代の蜃気楼のようなものだろう。
満州国は自分が母の胎内にいた昭和7年に建国され、初代皇帝の溥儀が3年後に
日本に表敬訪問でやってきた。本来、満州というのは19-20世紀に栄えた清王朝
満州族の祖国であり、今の漢民族の収める中国とは人種、習慣など違うものがある。
映画館で見た満州は、どこまでも続く高粱畑の向こうに落ちていく大きく赤い夕日は
「戦友」の歌そのものであり広軌満州鉄道の亜細亜号の勇姿に少年は目を輝かせ、
「王道楽土」や「五族協和」のスローガンに軍国少年は大きな夢を描きいつか満州
日本の未知の故郷になっていたと思う。その頃から少年は満蒙開拓団に憧れていた。
今は遠き満州だが、日本近代史なるもの「満州に始まり満州に終わる」といえるだろう。
少年は青雲の志から奈落の底まで経験した。波乱に満ちた時代に生きた自分に乾杯!