隠居の独り言(1373)

子供の頃に教会の聖歌隊に入って歌っていたのは前にも触れたが、今も好きな歌に
賛美歌312番「いつくしみ深き」がある。原詞は「いつくしみ深き 友なるイエス」だが
小学唱歌に「星の界(よ)」がありメロディーは同じで歌詞は「月なき美空に、きらめく光 
ああその星影 希望のすがた」で始まる歌は満天星の神秘を見るようだ。戦中戦後の
荒廃期を過ごした自分だったが、そんな時だったからこそ溢れる満天の星に恵まれた。
生涯を通じ音楽好きになれたのは祖母の子守唄と子供の頃に巡りあった賛美歌だが
童謡も賛美歌も幼児には難しい表現がいくつもあり、歌詞の意味は分からなかったが
大人になって意味を知り日本語の語彙の深さと美しさは生涯に亘る宝物になっている。
話はそれるが「生意気だ」川崎の1月中旬の未明の住宅街。殺人容疑で逮捕された
十代のグループのリーダーが中学生を正座させ数十分間殴り続けた。その場にいた
生徒たち10人近くいたのに見ていただけ、被害者の顔は腫れあがり痛々しいアザが
残っていた。暴行の理由は些細なことだったが、これだけの酷い暴行被害だったのに
生徒達も学校の教師も教育委員会も見過ごした結果が殺人という最悪の結果だった。
被害者が哀れでならない。そして誰も責任を逃れようとしているのにも怒りを覚える。
地域の教育長、学校校長、担任は責任上、辞任するのは当然で、加害者と被害者の
公平性からも、加害者3名の実名と顔写真を公表しなければ死者が浮かばれない。
加害者の父親も他人事のようなコメントをしたがこんな親に育てられた結果の悲劇だ。
何の非もない少年を冬の冷たい川で泳がせその後にカッターナイフで殺害したという。
加害者は人間か。少年の断末魔の叫びはいつまでも残る。加害者は死で償うべきだ。
自分の子供の頃だって他のグループとの喧嘩は年中だったがガキ大将に理性があり
相手を傷つけることはなかった。それは親も厳しく学校の先生も威厳があったからだ。
今の先生は生徒と友達感覚で付き合う関係になっている。何たる教育と責任なのか。
全部の学校と言わないが程度の低さも程がある。教え方も、叱り方も知らない先生に
教育者としての資格が無い。先人たちの培った美徳、強靭さ、優しがが失われている。
自分は信仰心を持つ身ではないが学校の音楽の時間に賛美歌の導入を提案したい。
賛美歌の意味や歌詞はともかく、曲を聴いても歌っても、わけもなく心地よいもので、
荒んだ心も優しく包んでくれる。クリスマスに教会へ行った人なら分かるが、賛美歌は
心の洗濯にもってこいだ。最近の世相は首をかしげる事件に事欠かないが根本的に
教育の荒廃にあると実感する。提案したいのは賛美歌を歌うことによって心が洗われ
優しさが生まれる。加害者の少年たちよ。「いつくしみ深き」を歌ってごらん。