隠居の独り言(1286)

不来方(こずかた)の お城の草に寝転びて 空に吸われし 十五の心」 石川啄木
先週末は啄木や宮沢賢治のふるさと盛岡を旅した。不来方、今は盛岡城址公園だが
この場所で啄木が15歳の時、詠った詩がかつての自分と重なって目頭が熱くなった。
自分が中学3年卒業15歳のとき上京を前にして啄木と同じ心境と思ったからだった。
中学生のころは本を読むのが好きだった。島崎藤村森鴎外夏目漱石室生犀星
樋口一葉石川啄木・・親父が留守中、家にあった本を意味も分からず読みあさった。
当時は今のように本の種類も少なく本屋は古本のみで大抵は老人が店番をしていた。
逆説めくが、モノのない時代だったからこそ明治大正の文豪を読めたのかもしれない。
今の若い人は子供の頃からゲーム、ケータイ、パソコンに染まり殆ど読書をきちんと
していないので言葉の乱れが多い。文章の意味違いや誤字が多いのも困ったものだ。
貧しい時代、何もなかったので本を読めた。豊かな時代、物が有り過ぎ本を読まない。
上京して間もない頃、鴎外や漱石の由緒ある上野・本郷近辺を散策したこともあった。
ここ数年来は、子供の頃に読んだ小説や物語の情景の現地を見たくて出かけている。
一種のセンチメンタルジャーニーだが八十路の今の健康なうちにあちこちを旅したい。
前年は藤村の「千曲川旅情」が懐かしく小諸や上田城跡の傍の千曲川の流れを見て
感慨にふけり、野口雨情を訪ね北茨木に行き「七つの子」「赤い靴」「雨ふりお月さん」
など歌った。「雨降りお月さん」の詞は明治の頃の日本人の質素な暮らしを垣間見る。
昨秋は北原白秋の「城ヶ島の雨」を訪ね、三浦半島突端にある碑を見て白秋を想った。
盛岡は以前に何回か行ったことはあるがいつも仕事絡みで観光の余裕がなかったが
今回は前からの念願叶って啄木、賢治を訪ねる旅で、盛岡は自分の故郷と錯覚する。
盛岡まで新幹線で行き、駅からレンタカーで岩手一周のドライブは普段都会暮らしの
自分には別世界のように思える。なにしろ岩手県は本州で最も広い県であり、実際に
その広大な景色に圧倒される。桜満開の季節だったが冬の名残の枯れ木林も多く、
空も土地も広く見えるのが素晴らしい。岩手山はじめ八幡平、駒ケ岳などの残雪ある
山々と青空とのカラーコンビネーションの美しさは言葉に尽くせない感動的な情景だ。
とくに岩手県は広いので、レンタカーを借りてのドライブは景色を堪能するには最適だ。
飛行機、鉄道、車など上手くセットすれば行動も飛躍して旅行が身近なものになった。
それと天気情報も欠かせない。旅行会社への申し込みも一週間前辺りの天気予報を
見てからにする。上京してウン十年、やっと自由に旅ができるようになった。