小僧一人旅 その六

「商冥加」と云う言葉がある。一つごとを「飽きない」で続ける。冥加は神の恵みだから頑張れば神様もきっと応援して下さる。でも商い上手でも担保が無いと銀行はお金を貸してくれない。今と違って当時の銀行は貸付けに厳しかった。利子は高いし、担保は不動産で借家の独り者は見向もないのも当然だった。当然にお金の回転を速くして資金を早急に貯める以外にない。得意先から出来るだけ早く代金を頂き、仕入先、職人に払う。足りないところは自分を律する。高が知れても、食事は二食、電気ガス水道の節約、銭湯より体を拭く、床屋、新聞は節約、裁断場の板の上に寝るので布団が欲しかったが我慢をする。集金したお金は自分のものと思わない。商いの借り物と思う。そこは独身者の身軽さで、妻子がいたら、冒険は出来ない。今は貧しくても継続していればいつか花開くと信じられるのも若さの特権であり、仕事一筋に燃え、商いの面白みを覚えた。故郷離れて十数年、様々な体験もしたが、20代後半になれば見合いの話も近所の世話好きのおばさんから持ち掛けられる。しかし妻子を養うには、自信と経済の裏付けが不可欠であり未熟者の稼ぎの定まらない「馬の骨」には嫁はこないだろう。越えねばならない峠は多く、亀の歩みの如く遅々を実感した。29歳の誕生日に自分名義で電話を買い新しい名刺を作った。出来た名刺を見て一国一城の夢の青二才は何故か涙が出た。誰も助けてくれない。大海を泳いで安定に達するにはまだ遠し。しかし月々の売り上げが徐々に増え一つの目安の感じがした。振り返ればあの時の数年は数十年を凝縮した数年に思える。