小僧一人旅 その十二

明けて昭和38年は来年の東京オリンピック開催に向けての景気で、世間は大きく変わり特に東京の西南部は競技施設やそれに伴って街は大いに変貌し一般道、高速道路や新幹線など次々と建設され岩戸景気とか、いざなみ景気と称されて当時の景気の上昇は続く。世間が進むにつれ帽子メーカーの製造方法や設備も進化していく。帽子の裁断も今までの手包丁から糸鋸状の裁断機、縫製ミシンも改良され便利なものが出始め、仕上げ機は銅型から鋳物に変わり、専属職方5軒になり目標日産300個近くになったのも自信を深め生産、売り上げも年毎に増えて順調に商売も軌道に乗っていた。得意先も増え量産の荷物を運ぶため、初めてニッサン自動車の貨物車を買った。そしてボディに「横正商店」の名前が書かれたペイントを見た感激は今も忘れていない。やっとここまできたか!「石の上にも三年」の格言は冷たい石でも三年も座り続ければ暖かくなる。辛抱して頑張れば、必ず報われるという意味だが、商いを無事に継続することが確かに根付いてきた実感があった。そして両親に孝行を思いつきオリンピックの開会式のチケットが公募されると聞いて、仕事関係、親戚、知人、友人等にお願いし、名前を借りて100通ほど応募したが、残念ながら全て外れた。孝行は難しい。両親は「そんなことでお金を使うたらあかん」と逆に説法された。「親思う心にまさる親心」をつくづく小僧は知る。昭和38年は新潟県を中心にサンパチ豪雪があった年で難儀し、外国ニュースではアメリカ・ダラスでケネディ大統領が暗殺され、韓国では朴正煕が大統領になった節目の年だった。小僧30歳。