長寿社会 その三

戦国時代の初期、北條早雲は伊豆に旗揚げし小田原を滅ぼし関東一帯完全を手にしたとき、早雲は既に85歳になっていた。当時の寿命からして稀有の年齢だが、早雲は領民にも優し租税も低く抑え、自らは質素倹約に徹し名君として崇められた。若き日の辛苦が農民の苦労を知り彼の真価を作ったといえる。浄土真宗の開祖、親鸞は60歳を超えて東国に布教に出かけ80歳を過ぎて弟子や門人たちのために和文の教義書を書き親鸞の著した書物の殆んどが、その頃の作品と言われている。その400後に浄土真宗を飛躍的に広めた蓮如にいたっては、80歳を過ぎて5人目の妻を娶り子供を儲ける絶倫さだった。葛飾北斎の名画「富嶽三十六景」は北斎72歳の作品だが、90歳で亡くなる直前まで絵を画き続けた完璧人生といえる。ゲーテは72歳で、ピカソは90歳で恋をした。トルストイは81歳で家出をしたが、彼らは人生全てを青年の気分だった。白寿99歳でモンブラン山頂からスキーで滑降した三浦敬三、昨年亡くなった医師日野原重明106歳まで現役を全うしした。きんさんぎんさんは106歳まで全国に笑いを飛ばしてくれた。哲人たちを見るにつけ「やれば出来る」の教訓を知る思いで昨今は医学の進歩と情報による健康管理の意識で平均寿命そして健康寿命も延びたので良い方向だが単に長生きしても生甲斐が無くては人生つまらない。たった一回の人生なのに・人生は遺伝30%、環境30%、努力30%、運10%と、いわれるが哲人たちは全て満たしていただろう。この歳にして思うにはせめてみんなに迷惑を掛けたくない。そして思い残すこと無し。「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃」 西行