長寿社会 その十

ボクは戦前の教育を受けましたが、厳しかったが懐かしい。昔の小学校の国語教育はとにかく暗誦でした。教育勅語、般若心経、宣戦布告勅語まで・・訳も分からず覚えました。教育勅語は毎朝の朝礼で校長先生が黒い漆箱に入った勅語の巻紙を丁寧に取り出し一礼して厳かに朗読された。朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ・チンオモウニワガコウソコウソウクニヲハジムルコトコウエンニトクヲタツルコトシンコウナリ・・」頭を下げた。子供のころの記憶侮るべからず。85歳過ぎたボクですが今でも教育勅語は最後まで澱みなく言えるのが自慢です。今の天皇陛下はボクと同じ年の昭和8年にお生れですが、お誕生の歌が小学校の音楽の時間でいつも歌われました。「日の出だ日の出に鳴った鳴ったポーポーサイレンサイレンランランチンゴン、夜明けの鐘まで天皇陛下がおよろこび、みんなうれしいな、お母さん、皇太子さまお生まれになった」北原白秋作詞、中山晋平作曲の軽快な祝賀メロディですが街中で歌われ、幼さないボクも一緒になって歌っていました。当時は記憶遊びが流行って「ジンムスイゼイアンネイイトクコウショウコウアンコウレイコウゲンカイカシジン・・・メイジタイショウショウワキンジョウ」歴代天皇124代まで何秒で言い切るかをみなで競い、普通のスピードなら約1分だが、口の早い子供は20秒ほどで息も継がずに一気に話した。戦前の教育は記憶力の養成に繋がったことは事実であり教育方針も悪くはなかったと今も思う。正直今の若い人の言葉の貧弱さは、記憶力の必要とする国語力不足であり学校の社会、歴史、地理などにも相当影響していると思う。