隠居の独り言 18 

東京目黒のアパートで5歳の女の子が父親の殴る蹴るの暴行と食事も与えず衰弱のまま死亡した事件に呆然だが、女の子が「パパ、ママおねがいゆるして」と書いたノートに捜査員たちはその悲惨さに涙がこらえきれなかったという。またも起きた幼児虐待事件は母親にも母性本能はどこへいってしまったのか。男との愛欲が母性愛より大事なのか。残酷に虐められ、その上に殺された子供が哀れでならない。同じような事件が福岡でも起きた。4歳の息子を躾と称してテレビ台の引き出しに監禁し酸素不足で死亡させた事件も息子は狭い空間で腰を折り曲げられた状態だったというが、日常的に虐待したとして夫婦ともに逮捕されたのも当然だ。子供達がどれほど苦しかったか、痛かったが、辛かったか、想像だけで可哀相で涙と共に慄然の思いでいっぱいだが、これでは殺されるため産まれてきたとしか言いようがない。当然に親たちは自分の命で償うしか、子供は救われない。一蓮托生でないがこんな親を育てたその親にも責任大だ。時々街で見かけるのは母親が子供を叱り付けている場に出くわす事がある。最悪なのは母親が逆上して幼い子供を怒鳴っているのは見ているボクも悲しいが、子供にとって躾の意味も知らない親に育てられるのは可哀相でならない。子供には親は選ぶことは出来ない。これは仕方がないが、どのような理由であれ、子供が嫌いなら何故産んだのか。女性が結婚するのは夫を愛することと子供を愛することがセットのはずなのに、事件の男と女はどこかが狂っている。残念ながら、昨今の母親には母性本能に欠けている人が多い気がする。女性の社会進出はとても良いことだけれど子育てが疎かに場合が多く夫が子育てを手伝ったとしても女性の母性本能には敵わない。政治は保育所の増設だが、やはり一定期間は母親が子供に直に触れ育てるのがいい。躾にしても言葉でなく、大切なのは良き妻になることであり、家庭の中で、その第一条件を子供の前で実行していればおのずと躾けが自然に子供に備わっていくのではないか。それは夫にも当てはまるが、良き父親であろうとする前に良き夫の姿であることを求められるのは言うまでもない。ともあれ夫婦がいい人間関係を保つのが理想の教育で教育とは教と育の二文字だが、赤子から成人するまでの人間として性格を決定づけるのは過ごした家庭のあり方、つまり両親の生き方そのものと思う。