隠居の独り言 39

この度スマホの調子が悪いので新規に取り換えた。近くの公園では小学中学生とおぼしき子供数人が群れてスマホでゲームやラインをして遊んでいる。最近ではどこでも見かける風景だが、何のために緑や広場の多い公園に来ているのか分からない。公園は身体を動かす場所であるし草花や木々に、自然を感じる場所であるのに彼らは小さい画面のスマホから目を逸らさないのは依存症になっている。成長期にスマホやゲーム機を持たせる親も親だが、今の風潮は哀れとも情けないと言いようがないのは小学生の30%、中学生の60%、高校生の99%が持っているという子供のスマホ所持率には考える。いかに時代が変わったといってもこれでいいのか、疑問に思えるのは古い人間の考えなのだろうか。報道では小中学生のイジメが激増しているという。デメリットの理由などは今更でないが、子供たちの勉強不足、言葉の乱れ、運動の低下、そして何より人との触れ合うコミュニケーションの欠如が心配だ。最近は学校への携帯持ち込み禁止にしようという動きがあってとてもいいことだと思うが、一歩進んで小中学生の義務教育中は携帯禁止にすればいい。もっとも大人達も大きな事は言えないのは携帯を使った犯罪は後を絶たず、時や場所もわきまえず始終スマホをしている姿は大人としてみっともない。携帯は緊急の用事や待ち合わせ場所の変更など今や無くてならない道具でその便利さを認めつつ、便利のために無くしてしまった言葉や文が哀しい。かつて駅の構内には連絡板と云うものがあって様々な待ち合わせの伝言が書かれてあったが、その文には各々の、すれ違いや偶然の出来事、それは人生のドラマそのものが満ち溢れていた。映画「君の名は」の数寄屋橋の真知子と春樹も携帯があったなら素敵な物語がありえないし、「カサブランカ」「逢引き」などの名画も赤い糸の出会いが心に感動を与えた。文明とは音もなく人間の感情さえ失われていくのではないか・・心を機械に支配されては人として問われる。